カツ丼好きです。
カロリー超高いです。・・w
伝統的な日本食ではなく昭和の初期に開発されたという説があるのですが・・
蕎麦業界では有名な漫画?「そばもん」によると
新宿の蕎麦屋三朝庵で宴会用に用意したトンカツがキャンセルにより大量に
余ったものを始末する必要から考案されたという話になっていました。
気になって調べちゃったわけですが
この三朝庵。「さんちょうあん」と読みますが
早稲田ですね。江戸時代創業で現在もやっております。
新宿区馬場下町62です。
別な説というか、三朝庵のカツ丼はいわゆる卵とじの現在のスタンダードな
カツ丼のルーツですが ベスト オブ 丼 という本に別な説も
文春文庫『ベスト オブ 丼』
大正10年頃、早稲田の学生だった中西敬二郎(後に早稲田の教授になる)
ソースかつ丼を考案。周囲の食堂にて学生をターゲットとしたメニューとして広まる
大正六年に、『(早稲田)正門前の鶴巻町を少し行った右側』の『余りパッとしない食堂』でソースカツ丼を食べたという
早稲田高等予科(当時)学生の証言もあり、また、
『どんぶり探偵団』は、その食堂の主人・高畠増太郎さんの存在をつきとめている。
ドイツでの料理修行を終えた高畠さんは、大正二(1913)年に東京で開かれた料理発表会で創案のソースカツ丼を披露し、
早稲田鶴巻町の自店で売り出したのだ。
.
ソースかつ丼の方がプリミティブなカツ丼だと言う事が判明。(まあ当たり前か・・)
でここから面白い。
このパッとしない食堂をやっていた高畠増太郎についてもうちょっと調べると
福井のソースかつ丼の元祖と言われている
ヨーロッパ軒の始祖だと言う事が判明。
ベルリンで料理を学んだ高畠増太郎が、
ドイツ料理のシュニッツェル(カツレツ)をにウスターソースを掛け
ご飯にのせたカツ丼を東京の料理発表会にて発表し、
早稲田鶴巻の早稲田正門前のヨーロッパ軒という店で「ソースカツ丼」として売り出している。
ふむふむ。・。・。
そして関東大震災
増太郎は故郷に福井に帰り、ヨーロッパ軒を再興する・・・・
本がかけそうなテーマですね。
また取材します。
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